shiBano日記
インタビューに行ってきました!

阿武小学校3年生との地域学習3日目!
3日目はまちで働く人たちにお話を伺いに行きましたよ♪
今回は先生や私が子どもたちを誘導していくのではなく、グループに分かれて自分たちでお店まで行ってお店の人にお話を聞いてきました。
ということで、大人は少し離れて様子を見守ります。
みんなで話し合いながら、後ろの大人の反応を気にしながら(笑)目的地まで向かう子どもたち。
到着したら恐る恐る「こんにちは、ごめんください」と覗きます。
かわいい、、
目的も自分たちで伝え、自分たちで仕切りました✨
今回は1グループ2ヶ所にインタビューするということで、移動するのも自分たちで。
途中他のグループとすれ違ったり、「そっちじゃないこっちから!」「違うこっちからがいい!」と話し合ったり。
準備してきた質問以外にもその場で考えて質問してみたり、なぜかローンのお話になって仕組みを教えてもらったり笑
各グループ、反省点やよくできたこといろいろとあったでしょうが、とても頑張っていましたよ☺️
shiBanoに帰って感想を聞くと、「楽しかった!!」と元気よく答えてくれました♪
協力してくださった
鹿島クリーニング さん、ゲストハウスえのん さん、3RD PLACE CAFE N さん
本当にありがとうございました!
まち歩きが始まりました!

先日お伝えした阿武小学校との地域学習。
まずは奈古浦を歩いてみよう!とのことでまち歩きを行いましたよ🚶♀️🚶♂️
昨年、生活科の授業で奈古浦を歩いたことのある今年の3年生。
「ここはお酒つくるところ!去年中に入った!」
「こっからなら煙突が見えるよ!」
と、昨年のことを思い出しながらの町歩きになりました。
「かどのやしろ」さんの前ではいい匂いが。
「いいにおいー!」「ここでご飯食べたい!!」
といいリアクション。
そんな風に自分のまちを目で、肌で、そして嗅覚で感じてもらえるのは嬉しいことです。
今週はまち歩き第2弾から街で働く人へのインタビューまで一気に行う予定です!
子どもたちが何を感じ、どんなことに興味を持つか楽しみですね♪
今年も一緒に

お天気のいい日が続いて、梅雨明けを感じさせます☀️
が、どうやらまだ明けないらしいですね☂️
昨年阿武小学校の3年生の社会科の時間にお邪魔して、一緒に町歩きをしたり町の人にインタビューに行ったりしました。
昨年3年生の町歩きの様子
そして今年度もまた、3年生の皆さんと一緒に授業ができることになりました♪
その第一歩となる授業をしてきましたよ✨
shiBanoについて、奈古浦地区について、昨年の3年生たちはどんな学習をしたのかを授業でお話させていただきました。
もともと「自分の住むまちに興味を持つきっかけになってほしい」という想いで始めた阿武小学校との地域学習。
今回授業の中で、先生が「どんなことをしたいか」を子どもたちに聞いた時に、「奈古浦地区のことを勉強して、他の地区と比べて阿武町全体も知りたい」「地図を作りたい」「どんな気持ちでお仕事をしているのか、お店の人に聞いてみたい」とすでに多方面に目が向いていてとても嬉しい気持ちになりました。
中には「福賀にもいきたい!」という子もいましたよ。(うれしい!)
今年の3年生はすでにたくさん町歩きをして、いろんな人にお話も聞いてきたそう。
そして実は2年生の時に生活科の授業で町の方や私たちと一緒に奈古浦の町歩きをしている子たち。
昨年の2年生の町歩き様子
さらに深く学習して実りのある時間にできるよう、私もしっかり頑張らねば、と気を引き締める時間になりました。
阿武小学校のみなさん、これからよろしくお願いします✨
喜ぶ顔を見るために

晴れ着や大切な服、お布団や高齢者施設のシーツまで。
いろんなものを綺麗にし、お客さんにお返しするクリーニングのお仕事。
阿武町福賀地区にも地域の人に愛されるクリーニング屋さんがあります。
それは、福賀八幡宮の鳥居の前に佇む「倉本クリーニング店」
67年間、この場所でクリーニング店を営んできた倉本陽文(ようぶん)さん(81)にお話を伺いました。
「福賀はね、阿東も生雲も須佐も福栄も奈古も萩も田万川も全部まかなえる、自転車の車輪の中心みたいなとこなの。それでうちの親父が変わった人でね、当時はまだ珍しくて萩にもなかったドライクリーニングの機械をいれとったんです。だからあっちこっちから洗濯物がきて、そりゃぁ忙しかったですよ。」
旧阿武郡の中心地、福賀から各地に集配に回り、1日で100㎞走ることもあったそうで、車は何台も乗りつぶしてきたそうです。
福賀だったから今までやってこられた、他の地域だったらこうはいかなかっただろうと陽文さんは語ります。
— 自分が継ぐべき仕事を
「本当は機械の方が好きで、そっちの道に行きたかったんよ。このプレス機も古くて部品がなくて。自分でバラして鉄工所持って行って同じもの作ってもらってね。また自分で組み立てたんよ。それくらい、機械が好きやった。」
陽文さんの実のお父さんは、陽文さんが2歳の時に亡くなりました。
そしてクリーニング店を始めたのは2人目のお父さん。
中学生の時から集配や家の仕事を手伝いながらの生活で、時には学生服を着て自転車にカゴをつけて徳佐や地福まで集配に行っていたそうです。
「やっぱりね、"親父"が始めた店やから、自分がこのお店を継がんといけん、そう思ってね。それが自分の宿命だと思っています。」
当時を語る倉本さんの表情に後悔は見られませんでした。
「当時はあちこちから洗濯物が来てたから、手間がいるっていうので小倉から職人が来てたんです。」
職人の奥さんは、身重だった上に幼い子どもがいたため、身の回りのことをするために奥さんの妹さんも一緒に福賀に来たそう。
その妹さんというのが、妻・和子さんでした。
「その時が初対面。それがきっかけで一緒になることになってね。クリーニング店をしてなかったら顔も見ることがなかったんよ。運命の赤い糸としか言いようがないね。」
とびきりの笑顔で話す倉本さんはとても幸せそう。
「たくさん苦労かけて、枕を濡らしてきただろうけど、これからは恩返しをしたい」と話してくださいました。
「お客さんの喜ぶ顔を見るのが1番。そのために安くて丁寧な仕事を心がけてやってきました。」
陽文さんはクリニーングに出された服や布団にほつれがあれば直し、やぶれたようなものがあれば似たような布をあてがって直して返しているそうです。
その丁寧な仕事ぶりから長年のお客さんが多く、今も何かあったら倉本クリーニングに頼むという方も多いとのこと。
「親父がクリーニング店を始めたから、今もここにおれるんと思うよ。おかげで妻にも出会えたし、昔からのお客さんもみんなよくしてくれる。これからも頑張っていきたいね。」
そう、陽文さんは笑顔で語りました。
生涯現役、これからもお元気でお仕事を頑張っていただきたいですね!
今回のインタビュー動画がYoutubeにてご覧いただけます。
ドキュメンタリー阿武町暮らし〜
「倉本クリーニング店 倉本陽文さん(81)~田舎の「衣」を支え続ける店~」
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