shiBano日記
今年も一緒に
お天気のいい日が続いて、梅雨明けを感じさせます☀️
が、どうやらまだ明けないらしいですね☂️
昨年阿武小学校の3年生の社会科の時間にお邪魔して、一緒に町歩きをしたり町の人にインタビューに行ったりしました。
昨年3年生の町歩きの様子
そして今年度もまた、3年生の皆さんと一緒に授業ができることになりました♪
その第一歩となる授業をしてきましたよ✨
shiBanoについて、奈古浦地区について、昨年の3年生たちはどんな学習をしたのかを授業でお話させていただきました。
もともと「自分の住むまちに興味を持つきっかけになってほしい」という想いで始めた阿武小学校との地域学習。
今回授業の中で、先生が「どんなことをしたいか」を子どもたちに聞いた時に、「奈古浦地区のことを勉強して、他の地区と比べて阿武町全体も知りたい」「地図を作りたい」「どんな気持ちでお仕事をしているのか、お店の人に聞いてみたい」とすでに多方面に目が向いていてとても嬉しい気持ちになりました。
中には「福賀にもいきたい!」という子もいましたよ。(うれしい!)
今年の3年生はすでにたくさん町歩きをして、いろんな人にお話も聞いてきたそう。
そして実は2年生の時に生活科の授業で町の方や私たちと一緒に奈古浦の町歩きをしている子たち。
昨年の2年生の町歩き様子
さらに深く学習して実りのある時間にできるよう、私もしっかり頑張らねば、と気を引き締める時間になりました。
阿武小学校のみなさん、これからよろしくお願いします✨
喜ぶ顔を見るために
晴れ着や大切な服、お布団や高齢者施設のシーツまで。
いろんなものを綺麗にし、お客さんにお返しするクリーニングのお仕事。
阿武町福賀地区にも地域の人に愛されるクリーニング屋さんがあります。
それは、福賀八幡宮の鳥居の前に佇む「倉本クリーニング店」
67年間、この場所でクリーニング店を営んできた倉本陽文(ようぶん)さん(81)にお話を伺いました。
「福賀はね、阿東も生雲も須佐も福栄も奈古も萩も田万川も全部まかなえる、自転車の車輪の中心みたいなとこなの。それでうちの親父が変わった人でね、当時はまだ珍しくて萩にもなかったドライクリーニングの機械をいれとったんです。だからあっちこっちから洗濯物がきて、そりゃぁ忙しかったですよ。」
旧阿武郡の中心地、福賀から各地に集配に回り、1日で100㎞走ることもあったそうで、車は何台も乗りつぶしてきたそうです。
福賀だったから今までやってこられた、他の地域だったらこうはいかなかっただろうと陽文さんは語ります。
— 自分が継ぐべき仕事を
「本当は機械の方が好きで、そっちの道に行きたかったんよ。このプレス機も古くて部品がなくて。自分でバラして鉄工所持って行って同じもの作ってもらってね。また自分で組み立てたんよ。それくらい、機械が好きやった。」
陽文さんの実のお父さんは、陽文さんが2歳の時に亡くなりました。
そしてクリーニング店を始めたのは2人目のお父さん。
中学生の時から集配や家の仕事を手伝いながらの生活で、時には学生服を着て自転車にカゴをつけて徳佐や地福まで集配に行っていたそうです。
「やっぱりね、"親父"が始めた店やから、自分がこのお店を継がんといけん、そう思ってね。それが自分の宿命だと思っています。」
当時を語る倉本さんの表情に後悔は見られませんでした。
「当時はあちこちから洗濯物が来てたから、手間がいるっていうので小倉から職人が来てたんです。」
職人の奥さんは、身重だった上に幼い子どもがいたため、身の回りのことをするために奥さんの妹さんも一緒に福賀に来たそう。
その妹さんというのが、妻・和子さんでした。
「その時が初対面。それがきっかけで一緒になることになってね。クリーニング店をしてなかったら顔も見ることがなかったんよ。運命の赤い糸としか言いようがないね。」
とびきりの笑顔で話す倉本さんはとても幸せそう。
「たくさん苦労かけて、枕を濡らしてきただろうけど、これからは恩返しをしたい」と話してくださいました。
「お客さんの喜ぶ顔を見るのが1番。そのために安くて丁寧な仕事を心がけてやってきました。」
陽文さんはクリニーングに出された服や布団にほつれがあれば直し、やぶれたようなものがあれば似たような布をあてがって直して返しているそうです。
その丁寧な仕事ぶりから長年のお客さんが多く、今も何かあったら倉本クリーニングに頼むという方も多いとのこと。
「親父がクリーニング店を始めたから、今もここにおれるんと思うよ。おかげで妻にも出会えたし、昔からのお客さんもみんなよくしてくれる。これからも頑張っていきたいね。」
そう、陽文さんは笑顔で語りました。
生涯現役、これからもお元気でお仕事を頑張っていただきたいですね!
今回のインタビュー動画がYoutubeにてご覧いただけます。
ドキュメンタリー阿武町暮らし〜
「倉本クリーニング店 倉本陽文さん(81)~田舎の「衣」を支え続ける店~」
こちらも是非ご覧ください♪
新しい風を受け入れながら
先日お伝えした藤本さんの働く(株)宇田郷定置網さん。
藤本さんの取材のため滅多にしない早起きをして漁船に乗せていただきましたので、ご紹介いたします🐟⏰
※定置網とは
大きな網を一定期間仕掛け、回遊する魚を誘い込む漁獲方法
無駄に魚を捕り過ぎない、持続性のある漁法
朝6時に尾無の港に響くチャイム。
この音と共に漁師さんたちが集まり、出航の準備が始まります。
そして仕掛けた定置網の元へいざ出航!!
朝の光を浴びてきらきらと光る海はとても綺麗で行先を見据える漁師さんもかっこいい。。
そんなことを思っていると仕掛けのあるポイントに到着です。
網を手繰り寄せる漁師さんたちの眼は真剣。
時には厳しい声も飛び交いました。
水揚げの瞬間はど迫力!!
掛かった魚を素早く仕分けていきます。
いい魚が入っていると思わず顔もほころびますね☺️
仕掛けたポイントを回った後は宇田港にて仕分け作業です。
獲れた魚の選別作業でとても楽しそうに作業をされるベテラン漁師さんや
「綺麗なイカやなぁ」と嬉しそうに見つめる漁師さんも。
そこには魚への愛を感じました。
宇田郷定置網はIターン者の受け入れを積極的に行なっている事業所の1つです。
廣石社長は世代交代も前向きに考えておられ、将来的にも続けていくために、若手を育てることの必要性も感じておられます。
だからこそ、やる気のある若者を受け入れ育てることに力を入れているそう。
「最初からわかるものはおらんから」とわからないことは教えたり、舵取りの若手を育てることにも積極的です。
宇田郷定置網の中で最初にIターンで阿武町に来られ、12年が経つ藤本さんは
「12年前来た時に、廣石社長と当時の漁協運営委員長だった堀さんに受け入れてもらえたことが大きいですね」
と話されます。
藤本さんについてはこちらから
宇田郷の漁業を守り続けていくために新しい風を受け入れる、そんな宇田郷定置網。
これから先どんどん若手が育つことを願います!
今回は貴重な体験をありがとうございました✨
満開の菖蒲畑
梅雨入りの早かった今年ですが、晴れ間も多いように感じます。
だいぶ暑くはなってきましたがまだ過ごしやすい気温と湿度で、屋外でのレジャーを楽しむ方も多いのではないでしょうか♪
外に出ると、花壇のお花や野花など、いろんなお花に出会える季節でもあります💐
shiBanoにいてもご近所の方がお花を持ってきてくださって、嬉しくなったりもします♪
今日もいただきました♪
いつもありがとうございます!
そんなshiBanoの近くにスーパーがあるのですが、実はそのお隣に菖蒲畑が!
お買い物に行くたびに綺麗だなぁ、と思って見ていたのですが、先日ご近所さんから「今すごい満開だよ!」と教えていただき改めて行ってきました!
見ると本当に満開!!
気づかなかった、、
綺麗に育てられた菖蒲の花は濃い色から淡い色まで様々。
ぼんやりと眺めて癒されました☺️
お手入れをされている方にもお話を聞きたかったのですがいらっしゃらなくて叶わず。
まだしばらくは見頃が続くのではないでしょうか♪
お買い物ついでに癒されに行ってみてはいかがでしょう☺️
阿武町で叶えた、幼い頃の夢
阿武町の宇田郷地区は漁業が盛んな地域です。
そこで定置網漁業を行なっているのが(株)宇田郷定置網さん
※定置網漁業とは
大きな網を一定期間仕掛け、回遊する魚を誘い込む漁獲方法
無駄に魚を捕り過ぎない、持続性のある漁法
宇田郷定置網さんは約10年前からIターン者による新規就漁の受け入れを多くされています。
その先駆けにもなった藤本健一さんを取材させていただきました。
ー 1度きりの人生、好きなことをしたい
前職は国家公務員だったんですが、勤続20年になると表彰があるんです。
その節目の時に、『一度きりの人生だから、好きなことをやりたい』と思って。
子どもの頃からの夢だった漁師になりたいと妻に相談すると「やってみたら」と背中を押してもらえ決心がつきました。
ーふるさとを感じて
実家の熊本は浅瀬が多くて、もっと深い海の漁師をやりたいなと思って。
場所を探していた時にたまたま漁師の求人で阿武町の名前が載っているのを見たんです。
一度来てみると、海沿いの景色や雰囲気がふるさとの天草とよく似ていて「あぁ、ここいいな」と。
その後にも2度ほど阿武町に来て、ここにしようと決めました。
— 憧れの「漁師」という仕事について
漁師になる時に「今の漁師は厳しいよ」とよく言われて覚悟はしていたし、体力に自信はあったので苦にはならなかったです。
今までがデスクワークだったので、最初の2週間は筋肉痛が本当にきつくて。まぁ、それくらいですかね。
今は船の操舵を覚えるのが大変かな。
慣れない時は叱られることも多いですし、大変なことがあってしんどいなと思っても「好き」という気持ちがそれを上回れば続けられるんですよ。
そうして続けていくうちに叱られることも少なくなりますしね。好きこそ物の上手なれって言うじゃないですか。
いつのまにか続いてますよ。
— 先人たちの想いに応え、引き継ぎたい
宇田郷定置網の廣石社長は「世代交代」が必要だと真剣に考えていて。
自分も「機関長」という職をもらって船の操舵を任されていますし、若手の育成にも力を入れています。
また、会社化する際尽力を注がれ、自分が漁師になる時にもお世話になった堀金治さんが「宇田郷は漁業で盛り上げていきたい」と話されていたのを自分もすごく気に入っていて。
そういった先輩漁師たちの期待や想いには応えていきたいし、これからも漁師を続けていきたいと思っています。
— ふるさと阿武町
この前娘に「私はどこで産まれたの?」と聞かれたんです。
「あなたは萩市で産まれて、阿武町で育ったんだよ。だからこの阿武町がふるさとだね」と答えました。
私は小さい時に天草で育って、その後阿蘇に越しているんですが、その両方がふるさとだと思っています。
そして12年住んだ阿武町も、自分のふるさとのひとつだなと、そう思えますね。
「趣味は漁師です」と穏やかな笑顔で語る藤本さん。
これからも宇田郷の漁業を担い、盛り上げていってくださることでしょう。
素敵なお話を聞かせてくださってありがとうございました✨
今回の記事のインタビュー動画
【ドキュメンタリー阿武町暮らし】㈱宇田郷定置網・藤本健一さん(52)
~元・国家公務員、移住で叶える漁師の夢~
こちらも是非ご覧くださいね♪