shiBano日記

2021 / 06 / 22  15:00

喜ぶ顔を見るために

宿命と向き合う

晴れ着や大切な服、お布団や高齢者施設のシーツまで。
いろんなものを綺麗にし、お客さんにお返しするクリーニングのお仕事。

阿武町福賀地区にも地域の人に愛されるクリーニング屋さんがあります。

それは、福賀八幡宮の鳥居の前に佇む「倉本クリーニング店」
67年間、この場所でクリーニング店を営んできた倉本陽文(ようぶん)さん(81)にお話を伺いました。

 

— 福賀は旧阿武郡の中心だった
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「福賀はね、阿東も生雲も須佐も福栄も奈古も萩も田万川も全部まかなえる、自転車の車輪の中心みたいなとこなの。それでうちの親父が変わった人でね、当時はまだ珍しくて萩にもなかったドライクリーニングの機械をいれとったんです。だからあっちこっちから洗濯物がきて、そりゃぁ忙しかったですよ。

旧阿武郡の中心地、福賀から各地に集配に回り、1日で100㎞走ることもあったそうで、車は何台も乗りつぶしてきたそうです。
福賀だったから今までやってこられた、他の地域だったらこうはいかなかっただろうと陽文さんは語ります。

 

— 自分が継ぐべき仕事を

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「本当は機械の方が好きで、そっちの道に行きたかったんよ。このプレス機も古くて部品がなくて。自分でバラして鉄工所持って行って同じもの作ってもらってね。また自分で組み立てたんよ。それくらい、機械が好きやった。」

陽文さんの実のお父さんは、陽文さんが2歳の時に亡くなりました。
そしてクリーニング店を始めたのは2人目のお父さん。
中学生の時から集配や家の仕事を手伝いながらの生活で、時には学生服を着て自転車にカゴをつけて徳佐や地福まで集配に行っていたそうです。

「やっぱりね、"親父"が始めた店やから、自分がこのお店を継がんといけん、そう思ってね。それが自分の宿命だと思っています。」

当時を語る倉本さんの表情に後悔は見られませんでした。 

 

— 運命の赤い糸

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「当時はあちこちから洗濯物が来てたから、手間がいるっていうので小倉から職人が来てたんです。」

職人の奥さんは、身重だった上に幼い子どもがいたため、身の回りのことをするために
奥さんの妹さんも一緒に福賀に来たそう
その妹さんというのが、妻・和子さんでした。

「その時が初対面。それがきっかけで一緒になることになってね。クリーニング店をしてなかったら顔も見ることがなかったんよ。運命の赤い糸としか言いようがないね。」

とびきりの笑顔で話す倉本さんはとても幸せそう。
「たくさん苦労かけて、枕を濡らしてきただろうけど、これからは恩返しをしたい」と話してくださいました。

 

 — お客さんの喜ぶ顔のために
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「お客さんの喜ぶ顔を見るのが1番。そのために安くて丁寧な仕事を心がけてやってきました。」

陽文さんはクリニーングに出された服や布団にほつれがあれば直し、やぶれたようなものがあれば似たような布をあてがって直して返しているそうです。
その丁寧な仕事ぶりから長年のお客さんが多く、今も何かあったら倉本クリーニングに頼むという方も多いとのこと。

 「親父がクリーニング店を始めたから、今もここにおれるんと思うよ。おかげで妻にも出会えたし、昔からのお客さんもみんなよくしてくれる。これからも頑張っていきたいね。」
そう、陽文さんは笑顔で語りました。

生涯現役、これからもお元気でお仕事を頑張っていただきたいですね!


今回のインタビュー動画がYoutubeにてご覧いただけます。
ドキュメンタリー阿武町暮らし〜
「倉本クリーニング店 倉本陽文さん(81)~田舎の「衣」を支え続ける店~」

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